「べき」より「したい」【えぬのアタマのなか①】

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こんにちは。

今日はいつもとはちょっと違うテイストの記事となっています。

えぬ

「べき」と「したい」のどちらを優先するのかというテーマでお話ししていきます。

ゆるーいエッセイのような感じになっています。

こういう考え方を持っている人なんだな、ふ~んという感じで見ていただければと思います。

※学びや気づきをお求めの方はその他の記事を読まれることをお勧めします。

それでははじまりはじまり~。

突然ですが皆さんはどんなふうに人生を歩んできましたか。

親からいわれる「勉強するべき」「安定的な職業に就くべき」などといった世間的なべきを優先してきましたか?

それとも自分の「楽しい」「わくわくする」といったやりたいことを優先してきたでしょうか?

今回はえぬの20年間の長いか短いかわからない人生の歴史を踏まえつつこのテーマについての気持ちをつづります。

えぬ

最後までおつきあいいただけると嬉しいです。

 

結論からいうと、私は「したい」を優先する方が幸せになれると思っています。

それは、べきを突き詰めた先にあるのはその人にとっての幸せではないと考えるからです。

 

ここで一度、ここでつかう「べき」の定義をしておきます。

ここで書いているべきは、自分が特にやりたいと感じてはないけれど何となく世間的にやった方がいいのかなと思っていることや周りの友達がやっているからと流されていることなどが該当します。

そのため、もちろんすべての「べき」が無意味と言っているわけではありません。

自分のしたいことを達成するためにやらなければならないこと(=べき)を大切にするのはよいと思います。

目標の達成やそこにたどり着くまでの過程が楽しくワクワクするものであったり、苦しくてもそれが自分のやりたいことなのであれば意味はあると思うので。

しかし、周りに流されてやっている「べき」に関してはそれを突き詰めても何の得にもならないと思っています。

そこからなにか新しい幸せが生まれることはないと思うからです。

(たしかにこんなことやっても意味ないだろ、と思っていたところから新たな発見が生まれて幸せにつながる…ということもおないと否定はできないのであくまで一個人の考えとして受け止めていただけると嬉しいです)

今私がこういった考えを持っているのは自分が楽しいと思うこと、わくわくすること、ではない世間的に良いことを突き詰めても自分自身の本当の幸せは手に入らないことを、実感したからです。

 

実は私、昔はやりたいことより周りを気にしてやるべきことを優先していました。

その方が周りの人も幸せになれるしいいじゃんと思っていました。

でもあるときそれを続けるのが苦しくなってやめました。

(やめるまでの間にもいろいろあったのですがここでは割愛させていただきます。)

やめてからは自分の心の声にも耳を傾けつつ周りも幸せになれる方法はないかなと考えるようになりました。

自分を犠牲にしなくてもお互いが笑顔になれる方法もあるよなって思ったんです。

その生活をやめてから心が本当に楽になりました。

今は、周りの目を気にしすぎる必要はなくて、本当に必要なのは自分自身の心の声に耳を傾けることだと思っています。

この記事がまわりのことを気にしすぎたり「べき」にとらわれて悩んでいる方に届くと嬉しいな。

そんなふうに思っています。

えぬ

もっと発信も頑張らないと💦

 

ブログでの発信や日々の生活を通して私と関わってくれた方が、自分らしく幸せな毎日を送れるようなそんな世界を創れたらいいなと漠然と考える今日この頃です。

 

皆さんは「べき」と「したい」どちらを優先しますか?

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

えぬ

いつもはアロマやハーブについて書いてます♪↓

えぬ

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